本能寺の変があったのは、グレゴリオ歴(いまのぼくらが使っている暦)で、
1582年(午年)7月1日。
織田信長の誕生日は、1534年(午年)の7月3日。
この梅雨の時期は、信長と深い縁のあるときなのです。
(ちなみに、桶狭間の戦いも梅雨のころ)
生没年が、午年(しかも、きのえうま)というの
は、同じ甲午(きのえうま)生まれとしては、うれしいです。
信長は、日本の歴史のなかでもまれに見る天才。
オリジナリティーあふれる人物です。
派手な出で立ちやイベント、行動・・・すべてが異能です。
そんなこんなで、前から安土城の跡にいちど行ってみたかったのです。
琵琶湖東岸の安土山にあった地上6階・地下1階建ての天主
(信長は天守と書かず、天主と書いたそうです)
の想像図も美しいです。
最上階は金色、その下の階は朱色の八角堂となっていて、
内部は黒漆塗り、そして華麗な障壁画で飾られていたそうです。
その姿は、宣教師ルイス・フロイスの『日本史』にも描写されていて、
辻邦夫『安土往還記』にも美しく描かれています。
![安土城の大手道](http://www.monkeyhouse.co.jp/wp-content/uploads/2017/07/2017070601-yoshimura_mat.jpg)
安土城の大手道
信長の時代には、人や物があふれ、喧噪を極めた安土の山も、
いまは、ひっそりと、静かにたたずんでいました。
![天主跡から見える景色](http://www.monkeyhouse.co.jp/wp-content/uploads/2017/07/2017070602-yoshimura_mat.jpg)
天主跡から見える景色
天主跡にのぼると、信長が眺めたのと同じ琵琶湖のうえを
しっとりと湿り気をおびた風が吹き渡っていました。
いまは、安土山のまわりの湖は干拓されてしまっていますが、
当時は、もっと湖が近くにありました。
安土山は、湖に突き出た半島のようになっていたようです。
水にうつる安土城の美しさを想像します。
いまは跡形もないからこそ、よけいに安土への憧れがつのります。
さて。
近江といえば、近江牛。
近江八幡にある「毛利志満(もりしま)」に行きました。
自社牧場で育てた近江牛の鉄板ステーキです。
まず、ガーリックをいためます。
こんがりとしたキツネ色、カリカリになったガーリックからは、
香ばしいかおりが立ちあがります。
うーん。お腹がなります。
いよいよ、お肉の登場です!
動画でごらんくださいね。
料理人の大澤文彦さんの技が光ります。
写真を眺めているだけで、
また、このお肉を食べたくなります。
〆(しめ)は、ガーリックライス。
カツオ節の入った、和風の味わいが特徴です。
近江のくには、水があって、光がやわらかくて、緑が豊か、
ひとが穏やか。
お米も肉もお酒もおいしくて、
ほんとうに豊かな土地だと思います。