東京新聞(12月25日)朝刊の「東京エンタメ堂書店」のなかにある
「私の本の話」に、『バー・リバーサイド』シリーズが生まれるまでの話を
書かせていただきました。
ぜひ、読んでみてください。
(内容)
角川春樹さんから「東京のバーを舞台に、ハートウォーミングな小説を」
という話をいただいて始まったのが、このシリーズだ。
まずバーの場所をどこにするか、が問題だった。
春樹さんは「吉祥寺はどうかな」とおっしゃったが、
大阪生まれのぼくにとって土地勘があるのは、
長く住む二子玉川しかない。
結婚以来ほぼ25年、多摩川のほとりで暮らしている。
水辺がホッとするのである。
考えてみれば、生まれたのは大阪の泉大津。大津川沿いにある河原町だ。
その後、大学時代は京都の白川や鴨川沿いに住み、
サラリーマン時代は広島の太田川と天満川の中州に住んだ。
いや、待てよ。いま住んでいるのも多摩川と野川の中州じゃないか──。
「中州にあるバーってどうですか?」
ぼくが訊くと、春樹さんが「面白い」すかさず答え、
こうして物語の舞台が決まった。
お酒やバーの取材を長くやり、小説も書いてきたが、
関心があるのは「お酒って人にとっていったい何なの?」ということだけだ。
ある人にとっては、お酒なんかなくてもいい。
人生にとってマスト・アイテムではない。
でも、お酒があることで、思わぬ幸せが生まれることもある。
ほっと、ひと息つけることもある。(ま、逆もあるけれど…)
この両義性がお酒のもつ魅力であり、魔力だ。
天国も地獄もみることができる――まさにお酒は「中州」なのである。
小説に出てくる人物は、
男性と女性の間にいる人や
いまの生き方に迷う人、
ちょっと心を病んでいる人、
鳥や獣など人間以外の生きものと交流できる人など
──「あわい(=間)」に生きる人たちだ。
中州や川辺は、戦場や刑場になり、市が立ち、
歌舞伎などの芸能が生まれ、神の降りたつ場にもなった。
中州は「聖」と「賤」が明滅するトポスだ。
そういう意味でも、
「この世」と「あの世」をつなぐ媒体として、
お酒は中州にふさわしいんじゃないかと思う。