




風が吹いている。海からの風だ。
浜にさざ波が打ち寄せると、エゾシカの親子が民家の庭で、のっそりと顔をあげた。
釧路から車で1時間。小高い丘の上にAKKESHI と書かれた白い建物が見えてくる。
淡い空の下、ウイスキーの貯蔵庫が静謐なたたずまいを見せていた。
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初めてウイスキーが蒸留されたのは2016年11月。以後10年間、厚岸は日本のウイスキーにたしかな歩みを刻んできた。
それは創業者・樋田恵一さんのアイラモルトへの憧れからはじまった。
「30才の頃、アードベック17年などのアイラモルトが好きになりました」
蒸溜所をつくることなど考えてもいなかった。食品原材料の商社をいとなむ樋田さんは、未熟の原酒を樽で輸入し、それを育み、独自のウイスキーとして売ろうと思った。
しかし熟成にはウイスキー製造免許が必要と知り、「ならば原酒から造る」と決めた。
目指すのはアイラモルト。スモーキーな香りは、好きな焚き火のにおいに通じていた。蒸留所の場所は、幼い頃から父と旅した北海道しかない。
そうして北海道とアイラを掛け算し、探し当てたのが厚岸だった。土地の人たちもやさしく好意的だった。
なにより風光がアイラに似ていた。
冷涼な気候。海のそばの湿地帯。ピートがふんだんにある。
冬はマイナス20℃、夏は25℃という大きな寒暖差がウイスキーの熟成を早める。夏には海霧がかかり、しっとりした海の香りを運んでくる。牡蠣が名産であることもまったく同じ。
「うちのウイスキーは飲むと塩っぽいのですが、まさに厚岸のテロワールを映しています」
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素人がはじめたウイスキー造りだった。スコットランドから蒸留設備とともにやってきた技術者から一つひとつ学び、自分たちなりの工夫を加えていった。
ポットスティルから最初の一滴がしたたったときは安堵した。樽に詰め、これで完成だと思った。しかし知人から熟成過程をボトルで味わいたいとリクエストがくる。
「じつはそのときまで瓶詰めやブレンドを考えてなかった。『味を作れなければメーカーじゃない』とようやく気づいたんです」
と樋田さんは苦笑する。
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蒸留開始後10年。厚岸ウイスキーは現在5000樽以上を貯蔵、ブレンドも試行錯誤をかさね、200以上の製品を世に送り出してきた。コンペティションでの受賞も多い。
熟成樽は4タイプ。バーボン、シェリー、ワイン、ミズナラ。なかでもミズナラ樽は、厚岸ウイスキーの「うまみ」=「だし感覚」を生みだしている。蒸留所近くでとれるピートの燻香もほどよい。琥珀色の液体には、潮風で育った塩気のなかに、上品な「甘み」やドライフルーツのような果実味がある。
「大切にしているのは『もろみ』。原型がおいしくなければ、蒸留・貯蔵しても良い酒に育たないんです」
樋田さんが目指すのは「厚岸オールスター」だ。
厚岸産の大麦、ピート層をくぐりぬけた水、厚岸のキイチゴ酵母、海霧。そうしてミズナラ樽で眠って育つウイスキー。
スコットランドや日本の先人から謙虚に学ぶ姿勢。酒造りへの静かな思い──厚岸ウイスキーはなにより地元の人たちから愛されている。厚岸のひとと自然をまっすぐに映した酒。それが厚岸ウイスキーなのだ。
