作家・吉村喜彦のホームページ

湿度の高い日本の夏に、ジンはよく似合っています。

シンガポールやカンボジア、インドやインドネシアで飲んだジンも美味しかったです。

ぼくにとって、高温多湿とジンとは切っても切れない関係です。

 

ジンのカクテルといえば、

ことに夏は、ジン・トニックやジンのソーダ割りにライムを絞ったジンリッキーですが、

じつは、暑くてじっとりとした夕暮れに飲むマティーニ・・・・・

これが、また、美味しいんです。

 マティーニ

マティーニとは、ジンとヴェルモットのカクテル。

ぼくがかつて働いていたサントリー宣伝部の先輩・開髙健(たけし)は、ヴェトナム戦争の取材に行き、サイゴン(いまはホーチミン)のマジェスティック・ホテルに滞在していました。

そうして、そのバーで飲むマティーニを絶賛していました。

そんなこんなで、ぼくも初めてホーチミンに行ったとき、サイゴン川を見おろすマジェスティック・ホテルのバーに行きました。

 サイゴン・マティーニ

 空いっぱいに血を流したような夕焼けのなかを無数のコウモリとツバメが、飛びまわり、

 黄色い川の上をつぎつぎとウオーター・ヒヤシンスのかたまりが流れていくのを見つめながら、開髙さんはマティーニを飲んだそうです。

 リバーサイドには、人びとの普通の暮らしがあふれていました。

 しかし、夜になると、空では武装ヘリコプターがバタバタ巡回して照明弾をおとし、サイゴン川の対岸の原野では、大砲が連発しはじめ、機関銃がせきこみはじめる。

 そんな状況です。

 開髙健はこころのどこかにピクピクとして忘れようのない異物をかかえながら、

 研ぎ澄ましたドライ・マティーニのグラスを口に運んでいました。

 そのマティーニについて、生前こんなことを言っていました。

「マジェスティック・ホテルのマティーニは、世界各国から来た無数の新聞記者やアメリカ将校たちが寄ってたかって鍛えあげたんだ。

 バーテンダーは、ナイフの刃のように研ぎ上げたドライ・マティーニをつくれた」と。

 サイゴン1

ぼくはそのマティーニを、

スコールの上がった夕方、ぬったりとしたサイゴン川の風に吹かれながら、飲みました。

 はたして、その味は・・・・・

 まったく感動のない、ショボショボの代物でした。

 たしかに、同じバーでも、時代が違うし、バーテンダーももちろん違う。

 開髙さんの飲んだ極上のものと違うのは当然にしても、しかし、あまりにひどい。

これなら、自分がテキトーに作ったものの方がよっぽど美味しい。

 サイゴン2

 そして、思ったんです。

 開髙さんの飲んだマティーニは、

ブッダが言った「蓮の花は泥水に根を張っているから美しい」というたとえに似ているのかもしれない。

 いつ訪れるかわからない不条理な死が、つねにそこにあったサイゴン。

あらゆるものをぐつぐつと形もわからぬほど煮込んだようなサイゴン。

 そんな街で、ひりひりとした日常のなか、酒のプロフェッショナルが競いあってつくりだしたマティーニの味わい。

 サイゴン3

 マティーニは、ほんとうにむずかしい。

 矛盾をはらんだ、「深い液体」なんですね。

 味わいを冷たく澄ませるためには、

 何かを犠牲にしなければならないのかもしれません。

 

 だからこそ、たましいの奥底に染みとおっていくのでしょう。

 

 今日のお話に合う音楽はこれ。

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